中山庸子連載第14回
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  連載第14回
自分の何を「もったいない」と思うか


 最近「もったいない」という言葉が改めて見直されています。
かつての日本人の価値観や美意識の中では、ごく当たり前だったこ
の言葉、第一義的には「過分のお言葉をいただき、もったいない」
というように、「かたじけない」「ありがたい」という意味ですが、
普段私たちは「まだ使えるのに捨ててしまってはもったい
ない」な
どと「無駄になるのは惜しい」という意味での使い方をし
ています。
「無駄になる」とは、そのものの値打ちや価値を充分に生かせない
結果に終わるということですから、これは確かに「もったいない」。
そういうわけで「もったいない」という言葉の復権は、地球環境や
資源の問題から始まり、今の私たちの日常の暮らしにとって大きな
意味があるのですが、今回はこの言葉を自分の仕事、特に転職問題
というフィールドで考えてみたいと思います。
 
私が教員(地方公務員)からの転職組のせいか、「今の職場も仕
事も、
本当に私がやりたいこととは違うんです。ナカヤマさんのよ
うに、
仕事をやめて自分の夢見ていた職業につきたいけれど、親は
もちろ
ん友人も『今の仕事をやめるなんてもったいない』と口をそ
ろえて
いうんです。どうしたらいいんでしょう……」といった類の
質問を
受けることがあります。そして、その人の気持ちはとてもよ
く分か
るのです。
 
私自身、教員採用試験を(やっと)通って獲得した仕事なのに、
それ
をやめたいと何人かの人に相談した経験があり、やはり「せっ
かく
安定した仕事につけたのに、何もその年齢でわざわざ明日をも
しれ
ないフリーになることないじゃない、もったいない」と言われ
たも
のでした。
 
当時の私の「その年齢」というのは33、4歳、すでに10年以上学
校という職場で働いてからのことでした。
 彼らが言ってくれた「もったいない」は、確かに私の身を案じて
発言だったと思います。「教員を続けるべき」は、そのキャリア
が「無
駄になるのは惜しい」という意味でも、至極もっともな言葉
ではあ
りました。
 結局、37歳で15年の教員生活にピリオドを打ち、(明日をもしれ
ないフリーの)もの書きになって同じくらいの歳月を経た私が今、
りから「もったいない」と言われて転職問題で悩んでいる人にど
答えるか……と言えば、
「自分という資源の何をもったいないと思うか、をひとりでじっ
り考えた上で、一枚はやめる、もう一枚はやめないと書いた二枚

紙から自分で選んだ方が正解」。
「もったいない」と言われたから、という理由で転職を断念すると、
人から言われた「もったいない」が小骨のように引っかかった
まま
仕事を続けることになります。
それは「本当にやりたいことはこれ
じゃないけれどやめるのは『もったいない』らしいから……」とい
った中途半端な心の状態で続けることになり、あなたの人生の貴重
な時間が「もったいない」。そして、その
職場の労働力としても効
率がいいとは言えず「もったいない」になりがちなのです。
 
ところが、どちらの紙を選んだにせよ、自分の意志で手にしたも
のな
ら、自分の持つ「もったいない資源」例えば、経済力やプライ
ド、あるいは興味や情熱など……を今後無駄にせずに済むのです。
 どちらを選択したにせよ、あなたはもう仕事に関して「カッコ悪
い」言い訳をすることはないでしょう。
「今までの仕事」の中で、今まで以上に目的をはっきり持ち精進す
るカッコいい女になるのか、あえて「新しい仕事」を選択したから
には、新しい環境でそう簡単に泣き言は言わないという肝のすわっ
たカッコいい女になるのか。いずれにせよ、あなたが選んだ一枚は
「正解」だったということです。
 
というか、もう自分の選んだ方の紙に書かれた文字を正解にする
いう道を歩く覚悟が決まる。ここが大事なんです。
 今になって「前の仕事」のありがたさを感じます。教員時代に接
た人たちや経験が、現在の仕事のほとんどの「骨組み」として生
されているのは間違いありません。だから、私にとっての転職は
「も
ったいなくなかった」し、これからも「限られた自分という資
源」
を無駄にしないよう、精一杯に活用していこうと思っているの
です。






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